赤の女王徹底解剖

赤の女王は、一体誰なのか。パカル王墓の隣に葬られたことから、王と関係の深い人物であろう。真相に迫るため、様々な調査が行われた。

骨のX線撮影と組織検査から体格や食生活、病理と死亡推定年齢が明らかに。DNA分析から王と血縁関係にないことがわかり、母ではなく妃である可能性が高まった。頭蓋骨から顔の復元を試みた結果、石彫に描かれた王妃の特徴と多くの一致がみられるという説もある。碑文から名前、出身地、家族、死亡日など王妃の情報が読みとれる。さらなる確証を得るため、息子たちと孫、ひ孫の墓の発見が待たれる。

赤の女王、徹底解剖
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名前
イシュ・ツァクブ・アハウ
発見時、真っ赤な辰砂に覆われていたことから「赤の女王」と通称される。
出身地
ウシュ・テ・クフ
場所は特定できていない。
(おそらくパレンケの西にある小都市)
配偶者
キニチ・ハナーブ・パカル
息子
キニチ・カン・バフラム
キニチ・カン・ホイ・チタム
キニチ・アフカル・モ・ナフブ
ひ孫
キニチ・クック・バフラム
身長
約154cm
死亡
672年11月16日
死亡推定年齢50〜60歳。
骨粗鬆症を患い、
ほとんど歩けない状態だったとみられる

赤の女王の頭飾り

ヒスイ輝石岩片103個、貝片11個、石灰岩片37個からなる。おそらく雨神チャフクを表現。

  • マヤ文明、7世紀後半 パレンケ、13号神殿出土
  • アルベルト・ルス・ルイリエ パレンケ遺跡博物館蔵
  • ©Secretaría de Cultura-INAH-MEX. Proyecto Arqueológico Palenque