展示構成

第一章
古代メキシコへのいざない
第二章
テオティワカン 神々の都
第三章
マヤ 都市国家の興亡
第四章
アステカ テノチティトランの大神殿

第一章古代メキシコへのいざない

前1500年頃、メキシコ湾岸部に興ったオルメカ文明は、メソアメリカで展開する多彩な文明のルーツともいわれます。広大な自然環境のなかで人々の暮らしを支えたのは、トウモロコシをはじめとする栽培植物と野生の動植物でした。やがて、天体観測に基づく正確な暦が生み出され、豊穣と災害をもたらす神々への祈りや畏れから様々な儀礼が発達し、生贄が捧げられました。本章では、オルメカ文明の象徴的な一作品を紹介するとともに、「マヤ」「アステカ」「テオティワカン」に通底する4つのキーワードを解説します。

オルメカ様式の石偶
球技をする人の土偶
オルメカ様式ようしき石偶せきぐう
  • オルメカ文明、前1000~前400年
  • セロ・デ・ラス・メサス出土
  • メキシコ国立人類学博物館蔵

©Secretaría de Cultura-INAH-MEX. Archivo Digital de las Colecciones del Museo Nacional de Antropología. INAH-CANON

オルメカ文明からは、儀礼と結びついた王権や多くの神々の概念など、その後のメソアメリカ諸文明に様々な要素が受け継がれました。この幼児像の顔には人間とジャガーの特徴が併せて表現されています。

オルメカ様式の石偶
球技をする人の土偶
オルメカ様式の石偶
球技をする人の土偶

第二章テオティワカン  神々の都

テオティワカンは海抜2300mのメキシコ中央高原にある都市遺跡です。死者の大通りと呼ばれる巨大空間を中心に、ピラミッドや儀礼の場、官僚の施設、居住域などが整然と建ち並んでいました。太陽や月のピラミッドはまさに象徴的な存在です。スペイン侵攻以前から話されていたナワトル語で「神々の座所」を意味するテオティワカンは、当時の民族や言語も未解明な謎の多い文明ですが、美術や建築様式はその後も継承されます。本章では、近年の発掘調査や研究成果をもとに、巨大な計画都市の全貌を明らかにします。

©Secretaría de Cultura-INAH-MEX
©Secretaría de Cultura-INAH-MEX. Foto: Mauricio Marat
©Secretaría de Cultura-INAH-MEX
©Secretaría de Cultura-INAH-MEX
©Secretaría de Cultura-INAH-MEX. Foto: Mauricio Marat
©Secretaría de Cultura-INAH-MEX

太陽のピラミッド ©Secretaría de Cultura-INAH-MEX

死のディスク石彫
モザイク立像
羽毛の蛇神石彫
シパクトリ神の頭飾り石彫
嵐の神の壁画
鳥形土器
のディスク石彫せきちょう
  • テオティワカン文明、300~550年
  • テオティワカン、太陽のピラミッド、太陽の広場出土
  • メキシコ国立人類学博物館蔵

©Secretaría de Cultura-INAH-MEX. Archivo Digital de las Colecciones del Museo Nacional de Antropología. INAH-CANON

メキシコ先住民の世界観では太陽は沈んだ(死んだ)のち、夜明けとともに東から再生すると信じられていました。この作品は地平線に沈んだ夜の太陽を表わすと考えられています。復元すると直径1.5mにもなる大型の石彫です。

太陽のピラミッドとは
詳細
太陽のピラミッド
©Secretaría de Cultura-INAH-MEX

200年頃建造。アメリカ大陸最大級のピラミッドで、底辺223m四方、高さ64m。「火」「戦い」「天空」を象徴するとされます。

死のディスク石彫
モザイク立像
羽毛の蛇神石彫
シパクトリ神の頭飾り石彫
嵐の神の壁画
鳥形土器
死のディスク石彫
モザイク立像
羽毛の蛇神石彫
シパクトリ神の頭飾り石彫
嵐の神の壁画
鳥形土器

第三章マヤ  都市国家の興亡

マヤは前1200年頃から後16世紀までメソアメリカ一帯で栄えた文明であり、後1世紀頃には王朝が成立しました。都市間の交易や交流、時には戦争を通じて大きなネットワーク社会を形成しました。王や貴族はピラミッドなどの公共建築や集団祭祀、精緻な暦などに特徴をもつ力強い世界観を有する王朝文化を発展させました。本章では、マヤの文化的発展と王朝史に注目します。特に王朝美術の傑作と名が高い、「赤の女王のマスク」をはじめとする王妃の墓の出土品を本邦初公開します。

©Secretaría de Cultura-INAH-MEX
©Secretaría de Cultura-INAH-MEX. Foto: Héctor Montaño
©Secretaría de Cultura-INAH-MEX
©Secretaría de Cultura-INAH-MEX. Foto: Héctor Montaño

碑文の神殿(パカル王墓)と13号神殿(赤の女王墓)©Secretaría de Cultura-INAH-MEX

400~800年頃に隆盛した都市国家パレンケ。歴代の王は、おそらく18名とみられます。パカル王が埋葬された碑文の神殿(写真左)をはじめ、美しい漆喰装飾で知られる神殿群は、かつて鮮やかな赤色で塗られていました。

赤の女王のマスク・冠・首飾り
金星周期と太陽暦を表わす石彫
戦士の土偶、書記とみられる女性の土偶、支配者層の土偶、貴婦人の土偶、貴人の土偶
猿の神とカカオの土器蓋
トニナ石彫
チャクモール像
96文字の石板
あか女王じょおうのマスク・かんむり首飾くびかざ
  • マヤ文明、7世紀後半
  • パレンケ、13号神殿出土
  • アルベルト・ルス・ルイリエ パレンケ遺跡博物館蔵

©Secretaría de Cultura-INAH-MEX. Foto: Michel Zabé

パレンケ13号神殿で真っ赤な辰砂(水銀朱)に覆われて埋葬されていた「赤の女王」。このマスクをはじめとする品々を身に着けていた墓の主は、パカル王妃であった可能性が指摘されています。

赤の女王 出土状況を見る
詳細
赤の女王 出土状況
©Secretaría de Cultura-INAH-MEX
赤の女王のマスク・冠・首飾り
金星周期と太陽暦を表わす石彫
戦士の土偶、書記とみられる女性の土偶、支配者層の土偶、貴婦人の土偶、貴人の土偶
猿の神とカカオの土器蓋
トニナ石彫
チャクモール像
96文字の石板
赤の女王のマスク・冠・首飾り
金星周期と太陽暦を表わす石彫
戦士の土偶、書記とみられる女性の土偶、支配者層の土偶、貴婦人の土偶、貴人の土偶
猿の神とカカオの土器蓋
トニナ石彫
チャクモール像
96文字の石板

第四章アステカ  テノチティトランの大神殿

アステカは14世紀から16世紀にメキシコ中央部に築かれた文明です。首都テノチティトラン(現メキシコシティ)は湖上の都市であり、中央に建てられたテンプロ・マヨールと呼ばれる大神殿にはウィツィロポチトリ神とトラロク神が祀られていました。アステカも他の文明の伝統を継承し、王や貴族などを中心とする支配者層によって他の地域との儀礼や交易、戦争が行なわれました。本章ではアステカの優れた彫刻作品とともに、近年テンプロ・マヨールから発見された金製品の数々をご紹介します。

©Secretaría de Cultura-INAH-MEX
テンプロ・マヨール 
©Secretaría de Cultura-INAH-MEX
鷲の戦士像
トラロク神の壺
人の心臓形ペンダント
鈴形ペンダント
トラルテクトリ神形飾り
巻貝形ペンダント
耳飾り
テスカトリポカ神とウィツィロポチトリ神の笏形飾り
わし戦士像せんしぞう
  • アステカ文明、1469~86年
  • テンプロ・マヨール、鷲の家出土
  • テンプロ・マヨール博物館蔵

©Secretaría de Cultura-INAH-MEX. Museo del Templo Mayor

テンプロ・マヨールの北側、鷲の家で見つかった等身大とみられる戦士の像。王直属の「鷲の軍団」を構成した高位の戦士、もしくは戦場で英雄的な死を遂げ鳥に変身した戦士の魂を表わしているといわれます。

テンプロ・マヨールとは
詳細
テンプロ・マヨール
©Secretaría de Cultura-INAH-MEX

創建1390年頃、以来拡張を続け、7層にも及ぶ大神殿。最終的には底辺100×80m、高さ50mに達したとみられます。

鷲の戦士像
トラロク神の壺
人の心臓形ペンダント
鈴形ペンダント
トラルテクトリ神形飾り
巻貝形ペンダント
耳飾り
テスカトリポカ神とウィツィロポチトリ神の笏形飾り
鷲の戦士像
トラロク神の壺
人の心臓形ペンダント
鈴形ペンダント
トラルテクトリ神形飾り
巻貝形ペンダント
耳飾り
テスカトリポカ神とウィツィロポチトリ神の笏形飾り